源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

2011年度 土曜部会報告


1月21日小倉百人一首のカルタ会

 

今年度最後の部会は、新年1月ということで、小倉百人一首のカルタ会を行いました。最近は日本の家庭から失われつつある正月の伝統文化の風景ですが、大野先生の札の読み上げも名調子。最後は大野先生、野呂先生による被講による朗詠も披露され、王朝の雅にしばしひたることができました。参加者は、大野、野呂、川畑、酒巻、斉藤、河地。なお、来年度の土曜部会も、土曜5時限(16時20分~17時50分)になります。みなさん、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

河地


12月17日『古今集』資料

 

参加者は、大野、美濃島、川畑、酒巻、斎藤、河地。51、52、53番歌を読みました。51番歌の「やまざくら」は、前の50番歌初句「やまたかみ」と照応させているのでしょう。また「やまざくら」という語は、この歌が初出であるようです。52、53番歌については、まさに、惟喬親王と惟仁親王との立太子争いという政治的背景の明暗として読解すべきでしょう。貫之の配列意識は、歌語の連想だけということではなかったようです。52番歌は、おそらく惟仁親王が誕生した嘉祥3年(850)3月25日直後の、まさに春爛漫の「染殿第」でのこと、と読み取るとわかり易いでしょう。この年良房は46歳、「歳ふればよはひは老いぬ」という述懐には、少し若いかなあ?という意見もありましたが、大野先生の、当時は「賀の祝い」が「四十賀」から始まるので、46歳での「老い」の意識はおかしくはないでしょう、との意見に落ち着きました。次回は1月21日、本年度最終回です。

河地


12月10日"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"

 

参加者は、大野、野呂、酒巻、石澤、河地。「夕顔」巻160ページ4行目から165ページ最終行まで読みました。死亡した夕顔と別れた源氏は、「今一度かの屍骸を見ざらむが、いといぶせかるべきを、」と馬に乗って東山に向かいます。遺骸と対面した源氏は、夕顔の手を取って「われに今一度声をだに聞かせたまへ」と泣きますが、明け方も近づくため帰途につきます。その途中、賀茂川での落馬の場面は、まさに冥界に引き込もうとする大きな力が働いたかのようです。源氏はようやく二条院に帰着したのでした。次回は、166ページ1行目からですが、今年度のゲンジは終了です。1月14日は、5月の中古文学会の準備に当たっての打ち合わせを行います。手伝ってくださる方(もちろんアルバイト報酬)、当日16時30分、河地の研究室前にお集まりください。

河地


12月03日『古今集』資料1 資料2

 

参加者は、大野、野呂、川畑、酒巻、河地。(遅れて参加)石澤。51番歌の担当者が出席できなかったため、52、53番歌の政治的背景について、説明しました。52番歌の詠者は藤原良房、そして、53番歌の詠者は在原業平です。文徳天皇即位に伴う立太子については、すでに文徳天皇の長子惟喬親王がいましたが、藤原良房の娘明子が惟仁親王を出産した時点で、その争いに勝負がつきました。すなわち、惟仁親王(後の清和天皇)の誕生により、その外戚たる藤原北家、藤原良房の勝利に終わりました。在原業平は、敗北した惟喬親王側(紀氏)の人物でした。資料の「系図」と「年表」を参照してください。

河地


11月19日"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"

 

参加者は野呂、酒巻、川畑、大野(敬称略)
今回は、154ペー ジ6行目から160ページ3行目までを音読しました。 該当部分の小見出しは、「惟光参上して、夕顔の遺骸を東山に送る」「源氏、帰邸後病み、頭の中将の見舞を受ける」です。なにがしの院に て、夕顔が急死してしまい、源氏が途方に暮れたところで、一の従者である惟光がようやくやってきます。惟光の計らいにより、夕顔の遺骸は 東山へ運ばれることになり、源氏は邸に戻りますが、なにがしの院の物の怪のせいで、源氏は床に臥してしまいました。頭の中将が見舞いに やってきますが、源氏が苦しい言い訳をするという場面までを読みました。
 「。」読みをすると、音読の担当がめまぐるしく回ってしまい、意味をとりづらいというご意見をいただきました。今後改善すべき点と考えられますが、原因の一つとしては、参加人数が少ないことがあげられるかと思いま す。12月となり、ご多忙とは存じますが、どうぞみなさま奮ってご参加くださいますよう、お願い申し上げます。

大野


11月12日『古今集』資料

 

参加者は河地、野呂、大野、石澤、酒巻、斉藤、石井(敬称略)と発表者川畑です。
担当箇所は49,50番歌です。本当は10月の初めに発表予定だったのですが、遅くなってしまい申し訳ありませんでした。 49番歌からはいよいよ桜の歌群に入ります。桜歌群の冒頭は初めて花をつけた桜に、散らないでほしいと願う歌で、桜歌群の冒頭にふさわしい歌だと思います。49番歌の詞書にある「人の家」は、山に自生する桜と区別して庭に植えた桜ということを強調する意味で書かれたのではないかという解釈になりました。50番歌に歌われているように、やはり古今集成立当時は桜といえば「山に生えている」というイメージが強かったようです。 次回は、11月19日(土)ゲンジモノガタリ!です!教室が6201教室に変更になるそうなので、お間違いなく。

川畑


10月29日"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"

 

事務のミスで、6404教室がが通信のスクーリングになったので、6402教室になりました。参加者は計3名という寂しさでしたが、分担して読みました。テキスト148ページ11行目~154ページ5行目まで読了。次回は、154ページ6行目から読みます。今回、ついに夕顔が魔性の女により絶命。光と闇との対比の中で場面が構成されていることに注意したい。次回土曜部会は11月12日(土)、古今集。教室は、6404か6402のどちらかになります。向かい合わせですので、ご確認ください。

河地


10月8日第3回王朝研探訪旅行報告会

 

後期第1回目は『古今集』でしたが、発表者が急病のため、京都探訪調査旅行の写真をスクリーンに写す報告会としました。PCデータを直接写すことができることは、本当に便利です。出席者は、河地、大野、野呂、美濃島、酒巻、石井。来週は、神作光一元学長の記念講義となりますので、会はお休みです。次回は、29日、「声に出して読もうゲンジモノガタリ」となります。積極的な参加をお待ちしています。なお、11月5日は、白山祭のためお休み。「古今」は11月12日です。教室は、毎回6404教室。

河地


7月16日"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"

 

テキスト143ページ「いさよふ月に、ゆくりなくあくがれむことを」から148ページ「あはれとおぼすままに、あまり心深く、見る人も苦しき御ありさまを、すこし取り捨てばや、と思ひくらべられたまひける」まで。「某の院」に到着して、その荒涼とした風景が印象的である。五条に近い「院」と言えば、「河原院」しかあり得ない。源氏と夕顔との甘美にして濃密な時空が描かれるが、源氏が覆面を解くところがおもしろい。次回は、テキスト148ページ「宵過ぐるほど、少し寝入りたまへるに、」から。いよいよ魔性の女が現れ、夕顔が急死する。

河地


7月2日『古今集』資料

 

参加者は河地、野呂、大野、美濃島、谷中、田辺、大川、川畑、神田、斉藤(敬称略)
担当箇所は47番歌。 48番歌と並んで「梅歌群」の最終となるものです。資料にも書きましたが、47番歌は香が残っていては梅の花をいつまでも思い出させて迷惑だとし、直後の48番歌は素直に残っている香で梅の花をしのぼうという。つまり、梅の残り香に対し、嫌―好という発想で並べられています。梅歌群の最後を飾るにふさわしい歌になっていると考えられるでしょう。

美濃島


6月25日"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"

 

出席者:河地、大野、野呂、小関、美濃島、川畑、酒巻、神田、斉藤
テキスト136ページ「女、さしてその人と尋ね出でたまはねば、」から143ページ「かやうの筋なども、さるは、心もとなかめり。」までを読んだ。場面は、源氏が夕顔の宿に泊まった八月十五夜の日、夜明けごろまでのことが語られている。源氏が日ごろ暮す邸宅との落差が「白妙の衣打つ砧の音」や「壁のなかの蟋蟀だに間遠に聞きならひたまへる御耳に、さしあてたるやうに鳴き乱るる」と、聴覚的イメージを核として印象的に語られている。源氏は、このまま「いざ、ただこのわたり近き所に、心安くて明かさむ」と、「某の院」へと移動しようとするのである。

河地


6月11日"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"

 

河地、野呂、酒巻、高橋(祐)、斎藤、小関、川畑、神田、大野
今回は、テキスト128頁1行目から、136頁7行目までを音読しました。該当部分の小見出しは、「惟光に隣の女の正体をさぐらせる」 「伊予の介の上洛と空蝉への未練」「秋、六条の女君を訪 れる」「惟光、夕顔の宿の事情を詳しく報告し、源氏を手引きする」です。 音読をするときに、特に注意を要したのが、「なめり」「なべかりける」「はべべかめる」など、撥音便化した撥音無表記の形でした。比較的会話文が 多い箇所だったこともありますが、今後もたくさん出てくると思いますので、その都度気をつけていきたいと思います。 それから、135頁4行目からの「君は御直衣 姿にて、御随身どももありし。なにがしくれがしと数へしは…」の部分は、「君は御直衣姿にて、御随身どもも、ありしなにがしくれがしと数 へしは…」と読むべきという岩佐美代子氏の指摘を紹介しました。詳細については、掲示板にてご説明しますが、本文を読む上で、どこでどの ように「、」 や「。」をつけるかというのは、解釈にもかかわる重要な点です。音読を通して、そういった細かい点についても見逃さずに読んでまいりたいです。
次回は、6月25日で、6402教室となります。奮ってご参加ください。

大野


6月4日『古今集』資料

 

参加者は河地、野呂、大野、美濃島、谷中、川畑、神田、斉藤、大川です。(敬称略)
担当箇所は45番歌~46番歌になります。 『古今集』の入選者をおおまかに時代別にすると、「よみ人知らずの時代」「六歌仙の時代」「撰者の時代」に大別できます。ところで、46番歌では詞書きから「撰者の時代」に詠まれた歌であることになりますが、作者名は「よみ人知らず」と書かれていることが問題になります。さて、『寛平御時后宮歌合』がどのような性格の歌合であったのか、なにぶん初期の頃の歌合であり、資料が少ないため、今後の研究がまたれるでしょう。

大川


5月21日"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"

 

参加者9名。河地・増田・小関・美濃島・谷中・川畑・酒巻・神田・斎藤(敬称略)
夕顔冒頭から、テキスト本文127頁最後までを音読。まず読みの注意点として、「御」については、特別なものを除いては基本的に「オン」または「オホン」と読むのがいいということ。また、夕顔巻の内容について梗概を読解して確認。また、配布資料(大日本読史地図)に基づいて、内裏、源氏の私邸である二条院、六条御息所の邸宅、その途中の「大弐の乳母」の五条の家、等の地理的確認作業を行った。さらに、巻名「夕顔」から、当時の読者は何をイメージしただろうか、ということを話し合った。「夕顔」という語は『萬葉集』になく、また『古今集』等の歌集にもない詞だから、いわゆる「歌語」ではない。『枕草子』や『源氏物語』のこの巻が初出となろうが、"非みやび"世界の花という俗的印象が強かったと思われる。 次回の"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"は、6月11日(土・4限・6402教室)になります。

河地 修


5月7日『古今集』資料

 

参加者は、河地、野呂、古田、田辺、小関、美濃島、谷中、鈴木(千)、高山、酒巻、大川、川畑、神田、大野の14名でした。担当は43、44番歌で、いずれも伊勢の歌です。当該の2首は、『伊勢集』では「桜」を詠んだ歌と解されていますが、『古今集』では「梅花」として採録され、順序が逆になっています。そこから古今集編者による意図的な読み変えが 行われたことがわかります。『古今集』編纂時に、伊勢はまだ在世中(22、3歳ごろか)であったにもかかわらず、上記のような解釈及び配列上の改変があったことは、『古今集』の配列意識をさぐっていく上で、たいへん興味深いことといえるでしょう。次回5月14日は総会&懇親会です。みなさま奮ってご参加ください。

大野


4月23日"声に出して読もう!ゲンジモノガタリ!"

 

参加者10名。河地・大野・野呂・増田・小関・高山・酒巻・川畑・神田・市川(敬称略)

本年度初回ということで、顔合わせとガイダンスを行いました。なぜ音読か、という視点から、「物語」とは「おしゃべり」という生活文化から生まれたものであること、また、『源氏物語』は、建て前として、主人に近侍した、多くは「女房」の回想の語り=おしゃべりから成り立つ世界であることなどを確認しました。次回は、5月21日、「夕顔」の巻頭から始めます。当日コピーを用意いたしますが、テキストは新潮日本古典集成です。最初交替で音読した後、後半は、出席者からの疑問点、問題点の提供、それらについての討議をします。ふるってご参加ください。

河地 修


4月16日『古今集』

 

参加者9名。河地・大野・古田・鈴木(千)・田辺・大川・川畑・酒巻・神田(敬称略)

いよいよ、23年度の土曜部会が開始です。今回は、『古今集』。卒業後、現在は、他大学の大学院生となった田辺さん、また、本学の大学院生となった鈴木(千)さん、所属が変わっての参加となりました。また、神田さんは、入会希望の日本文学文化学科3年生です。この日は、昨年度最後の発表者であった田辺さんの発表プリントを例にしてガイダンスを行いました。次回は、5月7日(土)、『岩波文庫古今集』をテキストとして、43・44番歌、大野先生の担当となります。

河地 修