源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成22年6月9日 第26回 水曜部会

【報告】
  6月9日の参加者は私高橋を含め、河地先生・大野先生・古田さん・美濃島さん・田辺さん・鈴木さんの7名でした。
  範囲は先週に引き続き「藤壺の女御の入内」、テキスト33頁13行目から34頁12行目までを読み進めました。
  母后を亡くした四の宮が帝に懇願され入内し、初めて「藤壺」と呼ばれます。これまでは桐壺更衣の死をただ悲しむばかりだった帝も、容貌の似ている藤壺に徐々に心を動かし、これからの展開につながる場面でした。
  本文34頁4行目の「さぶらふ人々、御後見たち」について、このように「さぶらふ人々」と「御後見たち」が分けて書かれていることはあまりなく、この2つにどんな違いがあるのかが話題になりました。 「さぶらふ人々」については、藤壺に仕える女房たちという解釈で問題ありませんが、「御後見たち」は、藤壺を養育する女房とも藤壺の親戚ともとれ、どちらかはっきりとは決めることが出来ませんでした。 ただ、「後見たち」が親戚だとしても、藤壺の入内を勧めていることから、母后亡きあとの藤壺を支えるほどの財力を持たない、あまり力のない人々であるということでした。
  今回の担当箇所で、源氏の将来に甚大な影響をもつ「藤壺」が登場しました。これから源氏や藤壺の揺れ動く心の内が描かれていくのがとても楽しみです。
  次回は、6月16日34頁13行目から35頁3行目まで。担当は古田さんです。

学部4年 高橋祐美子


※資料(アクセスキーを入力してください)
  「桐壷巻」33p L.13~34p L.12