源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成22年4月24日 第17回 土曜部会

【報告】
  参加者は、河地、野呂、大野、古田、下河、田辺、大川、川畑の8名(敬称略)でした。
  「部立の特色」(河地)では、『古今集』は、「天皇の歌集」として成立しており、その最たる特色が“部立の構造”に見ることが出来る、という指摘です。 具体的には、前半部6巻の「四季」と後半部5巻の「恋」との対応を意識した構成です。「四季」は季節の正しい運行と秩序とによって配列がなされており、このことは、正しい季節の運行→稲作農耕を中心とする農業の盛事→政治経済の安定→天皇の治世の正しさ→醍醐天皇の偉大さへと展開するものです。 また、「恋」は、萬葉以来の「うた」の本質でもありますが、「いろごのみ」でもある天皇にふさわしい「部立」であり、また、恋→結婚→子供→家の繁栄→稲作農耕の盛事、という展開にもなります。いかにこの歌集が政治的な存在であったかがわかるでしょう。
  「文学史的背景」(野呂)では、奈良時代後半からの政治的不安定な状況の説明が年表をおってなされました。 とくに、藤原種継暗殺事件に関連して、和歌史の重大な人物である「大伴家持」が生前にさかのぼって官位等が剥奪されるなど、朝廷から追放されたことは、その当時の『萬葉集』のあり方にも大きな影響を与えたことと推測されます。 この萬葉を代表する詩人の名誉回復は、806年、平城天皇によって、なされました。平城天皇は「うたの天皇」であり、この時、『萬葉集』も封印が解かれたという説があります。
  後半、『古今集』成立に至る平安時代の文学史については、後日、再び野呂先生にお願いすることになりました。

河地修


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