源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年11月18日 第12回 水曜部会

【報告】
11月18日の水曜部会の報告です。参加者は先生方を含めて10名。「桐壺」22~24頁(主に母君の台詞)を発表しました。
今回は注釈に関してご指摘をいただきました。まず「わたくしにも、心のどかにまかでたまへ」についてですが、桐壺更衣は、少なくとも死後は「楊貴妃のように国を乱す女性」とは思われていないだろう、とのことです。18頁の「もの思ひ知りたまふ」や「上の女房」は更衣を偲んでいますし、「憎みたまふ人々多かり」というのも更衣が従三位を贈られたのがその原因です。
また、担当箇所から外れてしまいますが、25頁の「若き人々~そそのかしきこゆれど」という記述から、更衣の女房達でさえ母君と悲しみを分かち合える相手ではない、と考えました。大野先生の解説では、こうした主人と女房との心情の差は『源氏物語』に多く見られるとのことです。その例として、落葉の宮・宇治の大君・中の君・朝顔の斎院とその女房などが挙げられました。ただし、現実の姫君と違って物語の姫君はしっかりした人が多いので、なかなか女房の思い通りにはいかないそうです。
次に「横様なるやうにて~思うたまへられはべる」について、「母君には帝を責める気持ちがある」と断定しましたが、「責めずにはいられない」くらいが適当だろうとのご指摘です。当時の人々にとって天皇は絶対的な存在で、とても表立って非難できる相手ではなかったようです。帝が更衣の死に対して罪の意識を持っていないのかが気になったのですが、それは現代的な考えで、やはり当時は「前世の因縁で、今こうなっている(24頁)」という考えが一般的だったようです。平安時代の物語を現代の感覚で読んでも理解できない、とのことです。これからは気をつけようと思います。

3年 鈴木香緒里

 


※資料(アクセスキーを入力してください)
  「桐壺」p22~p24