源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年6月24日 第3回 水曜部会

【報告】
6月24日、第3回目の水曜部会でした。参加者は12名。今回はテキスト13頁2行目~15頁5行目、「更衣の立場」と「若宮三歳、袴着を行う」を読みました。

1人目の発表は下河さん。「更衣の立場」という『源氏物語』の中でも有名な桐壺の更衣へのいじめの話です。 ここで出た質問で「上局は天皇の御座近くにいただく部屋とあるが、桐壺の更衣より身分が高いのか」というのがありました。すべてがというわけではないようですが、桐壺の更衣よりも身分が高い場合もあるようです。『源氏物語』を読み解く上で、身分によっても感情が異なって来るので、身分を理解するのはとても重要だと思います。

私が担当したのは「若宮三歳、袴着を行う」です。袴着がメインの話であったので、質問も袴着に関するものが多くありました。 この水曜部会で使用している『新潮日本古典集成』では「男子が始めて袴を着ける儀式」説明されていますが、『新日本文学大系』『源氏物語の鑑賞と基礎知識』では「薄雲巻」で明石の姫君が袴着を行っていることが紹介されています。『新潮古典集成』の「薄雲巻」を見てみると157頁で明石の姫君の袴着が紹介され、「松風巻」の144頁で袴着は「男女、三歳ではじめて袴を着ける儀式」と説明されています。同じ本の中で矛盾があり、参加者や先生からも笑いが起こりました。 ちなみに光源氏は三歳で行ったとタイトルにも書かれていますが、明石の姫君も155頁の「この春より生ほす御髪」の注で「この年、姫君は三歳」と書かれているので、三歳のときに行ったということがわかります。 「現在の七五三は11月に行うものだが、袴着を行う季節は決まっていたのか」という質問もありました。特に季節についての説明はどの注釈書を見ても載っていなかったのですが、光源氏の場合そのすぐ後に夏に桐壺の更衣が亡くなったことが記述されているので春~夏。明石の姫君の場合「薄雲巻」が「冬になりゆくままに」から始まり、袴着の儀の後「年返りぬ」と記述されているため冬。このことから当時は特に季節は決まっていなかったのではないかと考えられます。 質問からさらに袴着の知識が深められ、大変興味深いものとなりました。

次回は「更衣の死」から読んでいきます。

学部三年 川上奈津美

 


※資料 (アクセスキーを入力してください)
  桐壺巻「更衣の立場」
  桐壺巻「若宮三歳、袴着を行う」