河地修ホームページ Kawaji Osamu
http://www.o-kawaji.info/

王朝文学文化研究会 


文学文化舎



『古今和歌集』を考える

『古今和歌集』のメッセージ(一)

 

平成から令和への御国譲り

2019年を生きた日本人にとって、この年は初めての経験となる出来事が起こった年であった。それは、この年の5月1日から「令和」という新しい元号が用いられたことに関わるが、改元そのことじたいを言っているのではない。その代わり方の問題であった。「譲位」が行われたのである。

平成の時代の天皇(現上皇)から令和の時代の天皇へと、「譲位」ということが行われたのは、明治以降の「皇室典範」に基づく制度下では異例のこと―というよりも、初めてのことであった。当然ながら、明治天皇も、大正天皇も、昭和天皇も、次の天皇へ譲位は行っていない。「皇室典範」という制度がある以上、これは当然のことであった。

だからこそ、天皇(現上皇)が、退位を希望する旨の内意を、微妙な表現ながらも、直接国民に問いかけるかたちで示した声明は、ある意味で、天皇と国民とのきわめて健全な在り方を象徴するものではなかったかと思う。なぜなら、「皇室典範」においては、やや強い言い方をすれば、譲位は、けっして許されることではなかったからである。

しかし、この国の歴史を振り返ってみれば、時の天皇が、皇太子(必ずしもその時の天皇の子というわけではない)に譲位するということは、よくあるかたちであった。というよりも、譲位は、ごく普通に行われることだったのである。

 

たとえば『源氏物語』世界から

平安時代、「譲位」のことは「御国(みくに)譲り」と言われた。たとえば、『源氏物語』では、光源氏の兄朱雀から光源氏の子冷泉への譲位が、「澪標」巻頭で語られている。そこには「御国譲りのこと、にはかなれば、大后おぼしあわてたり」と、我が子朱雀の突然の譲位に狼狽する母弘徽殿大后の様子がリアルに描かれているが、時の天皇の母からすれば、我が子の退位ほど寂しいものはなかったであろう。弘徽殿大后の場合は、この時の譲位により、これまでの権力構造の移行にとどまらず、政敵であった光源氏方からの報復も考えられたから、ある意味、恐怖にも似た不安感も生じたのであった。

そのことはともかく、新帝の即位と同時に、新皇太子の冊立も行われたのであって、「坊には、承香殿の皇子ゐたまひぬ。世の中あらたまりて、引きかへ今めかしきことども多かり」(皇太子には、承香殿女御を母とする皇子がお立ちになった。世の中はすっかり新しくなって、これまでとは打って変わった様に華やいだことなどが多い)と描かれている。新しい時代の到来を、多くの人々が好ましく迎え入れたことが分かるのである。

この『源氏物語』に登場する天皇は、皇位継承順に言えば、「桐壺帝」「朱雀帝」「冷泉帝」「今上帝」ということになるが、「今上帝」はともかく、登場するすべての天皇は譲位を行っている。「紅葉賀」巻の「桐壺帝」の父親にあたる上皇も、当然のことながら、譲位を行っており、これらのことは、この物語のモデルとなる時代が、歴史上の醍醐、朱雀、村上天皇の時代(十世紀前半)に相当することからも当然のこととも言える。つまり、これらの天皇すべてが、歴史上、譲位を行っているのであった。

『源氏物語』世界からも明らかなように、平安朝の天皇の御代代わりは、譲位が普通であった。つまり、御代代わりは、当事者の「死」を待って行われるものではなく、況や、力で奪い取るというようなものでも、けっしてなかったのである。

 

本来の「御代代わり」

平成の天皇は、国民へのメッセージで、本来の「御代代わり」のかたちを訴えたのだと思う。つまり、平成の天皇から令和の天皇へと「譲位」が行われたのは、皇位継承の在り方を、伝統的なものに戻したと言うこともできるのであって、それは、まさしく皇位継承の本来の在り方であった。すべて旧態がいいということではないが、「譲位」というかたちでの御代代わりには、継承されなければならぬということへの、ある意味での「祈り」が込められているように思われる。それは、次代に託すという心の在り方なのではあるまいか。託し託されるというかたちで、次代へ遺すべき大切なものは、その祈りとともに継承されてゆくのである。

この国の伝統文化について、それを正しく次代に継承してゆくことがその国の文化継承の大切な事業の一つだとすれば、天皇の在り方もまたそうなのではないか。この国の伝統文化の基幹となるべきものがいくつかあるとすれば、その最たるものの一つが、「天皇」にほかなるまい。

私は、この機会に、積年の課題の一つでもあった我が国初の「天皇の歌集」―『古今和歌集』についての考えを、まとめてみたいと思う。当たり前のことだが、私たちは、この『古今和歌集』を「歌」の「集」として捉えている。むろん、誤りではないが、しかし、その前に、この作品は、あくまでも『古今和歌集』なのだ、という原点に立ち戻ってみたいと思うのである。つまり、『古今和歌集』とは何か、という問題に、正面から立ち向かってみたいのである。


 

2020.5.17 河地修

一覧へ

>