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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



『古今和歌集』を考える

『古今和歌集』のメッセージ(十二)

 

正岡子規の無理解

正岡子規が「歌よみに与ふる書」(明治31(1898)年)で、

貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候

(紀貫之は下手な歌詠みであって、『古今集』はくだらない歌集でございます)

と言ってのけたのは、今では有名な故事となった。子規という人は、とてつもなくえらい人であるが、こと『古今和歌集』に関しては、不勉強の人であったと言うほかはない。ただし、これは、当時、『古今和歌集』を金科玉条のごとく信奉していた桂園派の歌人たちへの強烈な批判が主目的だったのであり、必ずしも『古今和歌集』の文学的価値を全否定することが主意であったわけではない。しかも、『古今和歌集』が研究者にも正しく理解できていたとは言い難い時代でもあったので、一概に子規のことを責めるわけにもいかないだろう。

ただし、子規が「巻一」の巻頭、在原元方の歌のことを云々するくだりは、この歌集の、特に「四季」の「部立」に関しての無理解から来ていることは言うまでもない。

子規は、元方の歌について、これが名歌かどうか、というような観点から論じているようだが、この歌の存在理由は、詞書に、

ふるとしに、春立ちける日詠める

(旧年12月のうちに、立春となった日に詠んだ)

とあるように、それが「年内立春」を詠ったことに依っているのである。名歌かどうかというようなことは、それがどうでもいいとは思わないが、この歌が「春」の巻頭に位置するにふさわしい和歌であるのは、この歌が有する「時間」の問題に過ぎない。

「時間」という観点から言えば、次に位置している第二番歌が、詞書が「春立ちける日詠める」とあることからも、その位置というものが理解できるであろう。旧暦では、基本的に立春と正月一日とは同一の日であって、これこそが、普通の春の始まりなのである。つまり、「年内立春」とは、特別な年(閏)の始まりなのであって、あえて厳密を期して、この「年内立春」を先頭に立てたのである。そして、二番歌以降、春は、徐々に、そして確実に時間が推移して行くのである。一首一首そういう読み方をすれば、子規のような、なにも元方の歌を一方的に罵倒することもないのである。

このように、子規の罵倒は、『古今和歌集』の読み方が、単に間違っていた、もしくは無理解であったことに起因しているだけのことであるが、しかし、我々は、もう一度、この歌集の根本的在り方というものを考え直さなければなるまい。無理解と無知からくる作品批判は、それが学問とは言えないことは当然のこととしても、それは何よりも、対象である作品にとっては悲劇そのものに他ならないことであるからだ。


 

2022.7.24 河地修

この稿続く
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