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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第95回
「いとうるはしき友」(第46段)

 

「うるはしき友」は「理」の人

第46段は、深い友情をモチーフとする章段であろう。むろん男どうしの友情であって、男女間の恋情といったようなものではない。しかし、どこかそういった恋の世界のような印象があるのも事実であって、そういう男たちの恋情にも似た友情もあっていいのかもしれない。しかし、なんと言っても、この稿の筆者には、「うるはしき友」という表現が気になるのである。以下、46段を掲げてみよう。

昔、男、いとうるはしき友ありけり。かた時さらずあひ思ひけるを、人の国へ行きけるを、いとあはれと思ひて別れにけり。

月日経て、おこせたる文に、

「あさましく、え対面もせで、月日の経にけること、忘れやし給ひにけむと、いたく思ひわびてなむはべる、世の中の人の心は、目離るれば、忘れぬべきものにこそあめれ」

と言へりければ、詠みて遣る、

目離(か)るとも思ほへなくに忘らるる時しなければ面影に立つ

(昔、男は、とても端正な考え方をする友を持っていた。二人は、どんな時でも常にお互いのことを思っていたが、その友が地方に行ったのを、男はとても悲しいと思って別れたのであった。

月日が経過して、その友が寄こした手紙に、

「とんでもなく、もうお逢いすることもできなくて、月日が経過してしまったこと、あなたはもう私のことをすっかりお忘れになったのであろうかと、とてもつらく思っております、世の中の人の心というものは、お逢いしないでいると、きっと忘れてしまうものでありましょう」

と、言ってきたので、男は、歌を詠んで送る、

あなたにお逢いしないとも、思うことはありません、なぜなら、あなたのことを忘れてしまうことなどまったくないので、あなたが面影となって目の前に顕れるからです)

この章段の主人公は、むろん歌を詠んだ「昔、男」なのだが、一方の「うるはしき友」もそれに準じる存在であろう。「うるはしき友」については、諸注、ほぼ「仲が良い友」「親密な友」という現代語を当てるが、もちろんそれは間違いということではあるまい。しかし、「うるはし」という形容詞は、「端正」という語義が基本なのである。きちんとしている、正しく間違いがない、というような語義を有するのであって、そういう「友」というのである。これは、この「友」が、「きちんとしている」ということなのであって、詰まるところ、「理」を有する人、ということに他ならない。

この友が、「うるはしき人」すなわち「理」の人であるからこそ、「世の中の人の心は、目離るれば、忘れぬべきものにこそあめれ」というような「理」が勝った手紙を寄こしてくるのである。言っていることは、今の言葉で言えば、「去る者は日日に疎し」ということで、これは世の道理だから、あなたの心もそうではないか、ということを、この友は言って寄こしたのである。

この章段の眼目は、そういう「うるはしき友」の手紙に対して、「昔、男」がどのように反応したか、ということであろう。それが最後に記されるところの和歌であることは言うまでもない。

 

「離別」から生まれた「うるはしき友」との贈答

「うるはしき友」が、「目離るれば」人の心は離れてしまうものだ、と言って寄こしたのに対して、「昔、男」は、歌を詠み送ったのである。これは、「うるはしき友」から送られた手紙への「返歌」と言っていい。

男の歌は、あなたは「目離るれば、忘れぬべきものにこそあめれ」と言うが、私には、「目離るとも」思われないのだ、なぜなら、「忘らるる時」がないので、あなたが「面影に立つ」から、と言うのである。 

「忘らるる時しなければ」とは、あなたのことをけっして忘れてしまうことなどないから、ということで、その結果として、あなたの「面影」がいつも顕れている、と言うのである。「面影」として、あなたは常に私の傍に居る、だから、「目離るれば」というようなことはない、あなたとはいつも逢っているので、「世の中の人の心」のように「忘れ」てしまうなどということはないのだ、という理屈になるであろう。

つまり、「うるはしき友」の「理」に対して、男は、逆に「理」をもって反論する体の返歌を送ったわけである。まさに、9世紀の歌人として面目躍如と言っていい。

そして、この章段を読んで思うことは、この二人のやり取りが「離別」という状況下から生まれたということである。「離別」を生んだ理由は、「うるはしき友」が「人の国」に行ったからで、これは、いわゆる受領層の貴族たちにとっては宿命的なことであった。つまり、「うるはしき友」は、国司としての任国赴任に伴って「人の国」(地方)に下ったのである。

当時の国司は、「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」「目(さかん)」の四等官から構成され、そのほとんどが家族を伴う形で下向した。任期は基本的に四年、ないしは、五年であったから、都を離れるにあたっては、その後、はたして無事に帰京できるかどうかという不安が、常について回るのである。そういう不安のもと、悲しい離別を味わわねばならないが、しかし、「国司」への任命は、受領層のなかでも稀な幸運と言うべきであったから、彼らは、むろん赴任してゆかざるを得なかったのである。

『古今和歌集』「巻八」「離別」に収められるものは、多くはそういう受領層の貴族たちの歌であり、本章段の物語も、そういった社会背景を念頭に読むべきであろう。

『伊勢物語』に登場する多くの人々は、受領層、もしくは、それ以下の弱小貴族、あるいは没落貴族であることを忘れてはならない。

 

 

2022.1.15 河地修

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