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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第47回
うたびとたちの日常―友情の永続を問う(十七段)

 

十六段に続く十七段は、その冒頭に「むかし」という語がない章段として早くから問題となっている。作者の制作段階でもともとなかったのだとすれば、それは、十六段に附属する章段なのであり、そうではないならば、何らかの事情で脱落したのである。この脱落を書写段階で生じたものとするならば、それは、かなり早い段階での脱落であろう。その脱落した写本を定家本などの主要伝本が厳密に書写してきたものと思われる。

第十七段は短いものなので、次に掲げてみよう。

年ごろおとづれざりける人の、桜のさかりに見に来たりければ、あるじ、
 あだなりと 名にこそ立てれ 桜花 年にまれなる 人も待ちけり
返し、
 今日来ずは 明日は雪とぞ 降りなまし 消えずはありとも 花と見ましや
(何年かのあいだ訪ねることがなかった人が、桜の花盛りの頃に見に来たので、主人が、
桜の花はすぐに散るところから薄情だという評判が立っているものの、しかし、何年かの間、たまにしかやっては来ない人のことも、こうして咲いて待っていたのでしたよ
返歌、
私が今日来なかったならば、この桜も明日は雪のように散ってしまうことでしょう。たとえ消えずにそこに残っていたとしても、散り積もっているものを花と見ることができるでしょうか)

この贈答は、ほぼ同内容のものとして、『古今集』「巻一」「春上」に載せられている(62・63)。「年ごろ」―長年訪問しなかった男(業平)が、桜の盛りにやって来たのを、「あだなりと」と名に立つ桜でも「年にまれなる人も待ちけり」と皮肉を込めて詠ったのである。しかし、業平は、その皮肉に対して、今日はたまたま桜の花盛りであったが、「明日は雪と」散っていることだろう―つまり明日は暖かく歓迎されるかどうかわからないと、皮肉で応じたのである。よほど親密な友人関係と言わねばならない。

『古今集』では、「あだなりと~」の歌は「詠み人しらず」、「今日来ずは~」が「在原業平」の詠歌となっている。『伊勢物語』であれ『古今集』であれ、業平と詠歌の応酬を演ずる相手は、うた人であり、しかも、業平とは親密な関係にある人物と考えていいだろう。古注以来、この相手は男性と取るのが主流であって、お互いに、このような辛辣なやり取りを可能とするような間柄なのである。

とすれば、業平の親友の一人ということになって、具体的に名を挙げるならば、真っ先に「紀有常」ということになるのだが、『古今集』に「詠み人知らず」とある人物である以上、有常とは別人物である可能性が高い。その人物が、数年間訪れなかった業平に対して、その友情の不実を指摘し、業平は、さらに、それに反論して返歌をしたのである。しかし、真意は、友情の不変を互いに問うているのである。

この章段のテーマは、まさしく「友情」であろう。テーマとしては、そのまま「十六段」に付随していると言っていい。あるいは、そのあたりの事情が、作者をして「昔」なる語を落とさせることになったのかとも思われるが、あるいは、この人物(あるじ)が「紀有常」と思われても構わないという姿勢もあるのかもしれない。ともかく、「十七段」が独立する章段であるとしても、「第十六段」に続く章段としてここに置かれたものであることは動かないだろう。

『伊勢物語』の世界が、およそ九世紀のうた人たちの物語であることはすでに触れた。『古今集』の「真名序」に言うように、その主な担い手が「好色之家」と「乞食之客」であるならば、それらの歌は、男と女の恋の世界で詠われると同時に、没落貴族の家々においてもさまざまな状況で詠われたに違いない。業平の相手の「あるじ」が、『古今集』において「詠み人しらず」―無名のうた人―として、その名が記されている所以なのである。

 

2017.7.13 河地修

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