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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第19回
「いちはやきみやび」考

 

「いちはやし」について

あたかも天皇家の貴公子のごときイメージを持つ初段の「男」の行動について、物語の語り手は、「昔人はかくいちはやきみやびをなむしける」と賞賛した。すなわち「いちはやきみやび」が、「初段」の主人公の評価さるべき理由であった。

 

「いちはやきみやび」とは何か。この語句は、辞書的に言えば、形容詞「いちはやし」と名詞「みやび」との組み合わせであって、その解釈はそれぞれの語義の問題ということになる。

この場合、解りやすいのは「いちはやし」のほうであろう。辞書的に言えば、荒々しい、激しい、厳しい、迅速、機敏、性急、というような語義があって、必ずしも現在用いられる「いちはやい」という意味だけではない。

ともかく、「いちはやし」という語から考えていかねばならない。この語については、『愚見抄』(一条兼良)や『直解』(三条西実隆)など、中世の古注釈は、おおかた「迅速」という意にとっているようである。しかし、江戸期の契沖『勢語臆断』は、「ここでははなはだしき心なり」と言い、また藤井高尚『新釈』は「いちはやきみやびとはこざかしき風流といふ心なり」とし、これらは中世の古注釈が言う「迅速」などの意からはやや異なる見解であるように思われる。

まず、この物語の書かれた当時(10世紀前半)の「いちはやし」という言葉からうかがわれる“語性”のようなものを探ってみたい。

 この語の初出について『日本国語大辞典』(小学館)は『日本書紀』の訓点を挙げている。

浦の神、厳忌(イチハヤシ)。人敢て近づかず。(欽明五年一二月)

この用例は、江戸前期の「寛文版訓」ではあるが、『日本書紀』の訓読そのものは平安時代の比較的早い時期から行われており、10世紀前半の『伊勢物語』には十分適用することができよう。

この「寛文版訓」の「イチハヤシ」は、「浦の神」の情態を言うものであることに注意しなければならない。この場合の「いちはやし」とは「神」の持つ霊威を言う表現なのである。また同様の例としては、『伊勢物語』からはかなり後れるが、13世紀前期の『宇治拾遺物語』に、熱田神宮の「神」の霊威の形容として、この語が使用される例がある。

そのころ、熱田神、いちはやくおはしまして、おのづから笠をも脱がず、馬の鼻を向け、無礼をいたす者をば、やがてたちどころに罰せさせおはしましければ、大宮司の威勢、国司にもまさりて、国の者どもおぢ恐れたりけり。

また、『伊勢物語』より若干後れるものの、ほぼ同時代と言っていい『蜻蛉日記』には「蝉」の鳴き声の記述であるが、次のような用例がある。

庭はくとて、箒を持ちて、木の下に立てるほどに、にはかにいちはやう鳴きたれば、驚きて、

この『蜻蛉』の例などは、明らかに、激しく、と解釈すべきところだろう。しかしながら、同じ『蜻蛉』には「激しさ」ではなく、「速さ」を言ったものと思われる用例(いちは やかりける暦)も存在していることから、当時、この語は「激しさ」と「速さ」の混在する性質を持っていたものと思われる。

『日本国語大辞典』の解説によれば、この語の本来の語義は「非常に厳しく激しい」ということだが、そこから、「速度が甚だしい」さまにも意味が拡大していったということで、すでに10世紀には、この語はそういう意義を持つ語として成立していたことが『蜻蛉』の例からわかるのである。

 

10世紀前半の『伊勢物語』「初段」の「いちはやき」とは、基本的には、「厳しさを伴う迅速さ」を言っているものと思われる。そういうものとして「みやび」が行われた、というのである。

この場合、男は垣間見直後に求愛(求婚)をしたわけで(「おひつぎて」は「時間を置くことなくすぐに」の意)、当然その迅速な行動に注目が集まらなければならないのである。むろん、この「迅速さ」が同時に「乱暴で激しい」性質を持つことは言うまでもない。すなわち、男は、相手に対して、有無を言わせぬ強靭な意思と迅速な行動とで迫った、と解すべきであろう。

初段の「男」の取った行動からは、相手に有無を言わせぬ絶対的な力を読み取らねばなるまい。

 

『萬葉』の「みやび」

そこで「みやび」である。古くから、この『伊勢物語』の主題に繋がる理念的テーマとして取り上げられることの多い語彙であるが、「みやび」という語彙そのものについて、やはり根本的な議論がなされているとはとは言えず、極端な言い方をすれば、「みやび」がこの物語のテーマであるかどうかを含めて、具体的には何も解決していないと言っていい。

たとえば、故石田穣二博士は、この語について、「男女間の気の利いたふるまいの意であろう」(角川文庫・解説)とされたが、どうもこの語の確定には、生前、逡巡されていたふしがある。というのも、没後、遺稿として刊行された『伊勢物語注釈稿』(竹林舎、2004)にも、「結局、具体的には歌の贈答ということであろうが、歌には男女の交渉という意味合いが強くからまってくるから、現代的に直接的に言えば、恋愛というような意味合いになろうか」と、どこか歯切れが悪いのである。

この歯切れの悪さは、この語の初出としての用例の事情、つまり、『萬葉集』の事例、具体的には「巻二」の次の贈答に由来するのかもわからない。石田博士は、初段の「みやび」について、この贈答が「最も近い近い例とすべき」と言われた。西本願寺本から原文を掲げてみよう。

遊士跡 吾者聞流乎 屋戸不借 吾乎還利 於曽能風流士>(巻二、126)
みやびをと われはきけるを やどかさず われをかへせり おそのみやびを
遊士尓 吾者有家里 屋戸不借 令還吾曽 風流士者有(巻二、127)
みやびをに われはありけり やどかさず かへししわれぞ みやびをにはある)

この西本願寺本の原文表記「遊士」と「風流士」については、従来、注釈書は「みやびを」と訓読している。このことから『萬葉』の「みやび」という語彙については、単純に「風流」という語義が出てきたように思われる。むろん、この場合の「風流」は、現在の意味とはやや異なる。

たとえば『日本国語大辞典』(小学館)には、「先人の遺風。伝統。余沢。流風。」と最初の項目に掲げ、『広辞苑』(岩波書店)も、「前代の遺風。聖人が後世に残し伝えたよい流儀。」とする。聖人が今に伝え残した価値あるものであるから、やがて「みやびやかなこと」「風雅なさま」「洗練された行為」というふうに拡大していったものと思われる。

しかし、『萬葉』の場合、こういう漢語表記については、それほど厳密に考える必要はないのではないか。

というのも、この126、127番歌の「遊」と「風流」であるが、元のうたは“口承”で伝えられたものであったろうから、これらのウタで、「ミヤビ」と詠われていたものに、ある時、「遊」、もしくは「風流」という漢字表記が当てられた、ということになる。つまり、「ミヤビ」という語彙に、漢字表記を当てるという段階において、たとえば「風流」という漢語に白羽の矢が立った、ということに過ぎないのであって、「ミヤビ」という言葉に「風流」という漢語(漢字表記と言っていいかもわからない)が当てられた段階で、「ミヤビ」という言葉への漠然たる解釈的所為(「風流」と表記するという)がなされたものと考えるべきなのである。

『萬葉集』において、「みやび」に「風流」「遊」という漢語が当てられるということは、それらが「宮」の世界―貴族世界の特質をよく表すものであって、それらの概念を漢語で示す(漢語表記)ならば、「風流」や「遊」がふさわしかった、というだけのことに過ぎない。

整理して示すならば、「ミヤビ」(口承)→「(例)美也備」(一音一字の表記、いわゆる万葉仮名)→「風流」(解釈的漢語の当て字)ということになろう。

つまり、「ミヤビ」について、それを“言葉”として考える以上、あくまでも、口承で確立していた元のかたちの「ミヤビ」という言葉そのものを考えるほかはないのである。

 

この巻二の126、127番歌とは贈答である。美男の誉れ高い大伴宿禰田主(おほとものすくねたぬし)と夫婦になりたいと思った石川女郎(いしかはのいらつめ)が、賤しい老女に扮装して訪ねたが、大伴宿禰田主はこれに気付かず、そのまま帰した、だから、石川女郎は、大伴宿禰田主を「みやびを」と聞いていたが、そうではなかった―私を帰したあなたは間抜けな「みやびを」だった、と揶揄したうたを贈ったのである。対する大伴宿禰田主のうたは、いや、あなたを帰した私こそ「みやびを」なのだと反論した、というものである。

このやりとりについて考えるならば、石川女郎がなぜ「老女」の扮装をしたのかは今は措くとして、ここでは「みやびを」という言葉が二面的に使い分けられていると考えるほかはない。「みやびを」の「を」は「男子」のことであるから、「みやび」について言うなら、石川女郎は、「好色」に関わる意で用いたのに対し、大伴宿禰田主は、「徳」に関わる意で用いたと思われる。つまり、「みやび」という言葉は、ここでは硬軟併せ持つ二面的性質を持つものとして使用されていると判断できるのである。

 

『萬葉集』には「ミヤビ」、もしくはそれに類する言葉はそう多くない。上記2首以外のものを次に掲げてみよう。

足引乃 山二四居者 風流無三 吾為流和謝乎 害目賜名(巻四、721)
(あしひきの やまにしをれば みやびなみ わがするわざを とがめたまふな)
烏梅能波奈 伊米尓加多良久 美也備多流 波奈等阿例母布 左気尓于可倍許曽(巻五、852)
(うめのはな いめにかたらく みやびたる はなとあれもふ さけにうかべこそ)
海原乃 遠渡乎 遊士乃 遊乎将見登 莫津左比曽来之(巻六、1016)
(うなはらの とほきわたりを みやびをの あそびをみむと なづさひぞこし)
春日在 三笠乃山二 月船出 遊士之 飲酒坏尓 陰尓所見管(巻七、1295)
(かすがなる みかさのやまに つきのふねいづ みやびをの のむさかづきに かげにみえつつ)

巻四、721番歌「足引乃~」のうたは、伊藤博氏の『萬葉集釋注』に拠れば、大伴坂上郎女が「佐保山」の家に滞在中、聖武天皇への献上物に添えた歌とされている。ここでは、「山」にいるから「みやび」がないと、「山」と「みやび」とが対照的にとらえられており、とすれば、「みやび」とは、「山」と対極にあるもの、すなわち「都」から派生した概念であることがわかる。

巻五、852番歌「烏梅能波奈~」のうたは、「梅の花」を「みやびたる花」と言っているだけだが、大陸伝来の花として貴族たちに愛玩されていたという背景がある。

巻六、1016番歌「海原乃~」のうたは、遊宴でのもので、ここで言う「みやびを」とは題詞に書かれている「諸大夫(まへつきみ)等」を指している。「まへつきみ」とは、天皇の前に立つ貴族―貴族の高官(貴人)を指す言葉であって、それを「みやびを」と言ったのである。

巻七、1295番歌「春日在~」のうたの「みやびを」も、1016番歌同様、貴人を指しているのは明らかである。

 

このように、「みやび」とは、概ね、「貴族」や「宮」に関わる言葉であることがわかるであろう。すなわち、「みやび」とは、本来は「みや(宮)」に、接尾語「ぶ」の連用形「び」が加わったものであって、「宮」という言葉の持つ概念―高貴性から派生してくるさまざまなあり方をいう言葉に他ならないのである。

巻四、721番歌の「みやび」が「山」と対立する言葉であることは既に述べたが、それは、「みやび」が「都」に生まれるものであるからである。むろん、「都」という言葉は、「みや(宮)」に、場所を示す接尾語「こ(処)」が加わったものに過ぎない。すなわち、「都」とは「宮」の存在する場所を示す語であった。

従って、「みやび」という言葉を本質的に捉えようとするならば、それは、あくまでも「宮(ミヤ)」という言葉の概念そのものに向けられなければならないのである。

たとえば、巻二の石川女郎と大伴宿禰田主との贈答における「みやびを」とは、簡単に言えば、「宮」の世界の住人―「貴人」ということであって、「貴人」であるからこそ許される「好色」と「貴人」が本来的に備えている「徳」との両義をめぐってのやりとりなのであった。

 

「みやび」の記憶

さて、『伊勢物語』「初段」の「みやび」をどう考えるべきか。それは、『萬葉』以来の流れを汲む、「和語」としての「みやび」を考えるしかないであろう。

むろん、「みやび」とは、すでに述べたように「宮び」であって、「宮」とは「ミヤ」、すなわち、元は「御屋」であった。そして、原義としての「御屋」とは、尊貴な人、もしくは神が住む、美麗で崇高な建物を指す言葉であり、同時にその建物に住む主人をも指すようになった。「宮」が、今でも「神殿」であったり、「神」であったり、さらには、「天皇」や「天皇家の人々」であったりするのは、そのためである。

『萬葉』の「ミヤ」は、すでに原義の「御屋」から離れ、天皇の居住する都―「宮」としての語義が確立している。つまり、「宮」は特別な世界であった。そして、そのような「宮」意識は、本格的には「平城京」のころ(710年)から醸成されたのではなかったか。

平城京は、都の最北に天皇の居処である「大極殿」を配し、そこから南に、律令の位階に応じた九つからなる東西の大路を敷いた。貴族は、その城域に特権的に居住することができた階層であり、彼らもまた、天皇とともに「宮」を構成する人々であった。つまり、「宮」の住人たる貴人の、貴人たる振る舞いやあり方が、「みやび」と呼ばれるようになったものと思われる。

「初段」の舞台となった「ふるさと」-「奈良」は、そういった「みやび」の確立した空間世界であった。そこを鷹狩りのために来訪した主人公は、まさに高級貴族としての風貌-それは天皇のそれに近い-そのままに、貴人の行動たる「みやび」を実践したのであった。

むろん、具体的には「いちはやきみやび」とは、「男」の取った行動を指しているのであるから、垣間見直後、「なまめいたる女はらから」に対して、なかば強引に求婚した行為そのものであることは言うまでもない。

そして、この時の初段の男の行為こそ、かつての平城京-萬葉時代の古き「みやび」の系譜に連なるものであるとともに、その明瞭な記憶を呼び起こすことになったのは疑うまでもないだろう。

 

 

 

2013.3.17 河地修

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