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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第37回
大い君の死について(二十)


八の宮の遺言は、はたして遺言だったのか?

「八の宮の死は、「椎本」巻で語られる。中納言に昇進した薫が秋七月に宇治を訪問した際、八の宮は、薫に、姫君たちの後見を再度託した。それについて、薫が強く確約したことはすでに確認している。そして、薫が帰京した後、八の宮は、山寺に参籠することになるが、その時、八の宮は、姫君たちにかなり長い言葉を遺すこととなった。いわゆる「八の宮の遺言」である。少し長いが、その言葉のすべてを引用しよう。

「世のこととして、つひの別れを逃れぬわざなめれど、思ひ慰まむ方ありてこそ、悲しさをも覚ますものなめれ、また見譲る人もなく、心細げなる御ありさまどもを、うち捨ててむがいみじきこと。

されども、さばかりのことに妨げられて、長き夜の闇にさへ惑はむが益なさを、かつ、見たてまつるほどだに思ひ捨つる世を、去りなむうしろのこと知るべきことにはあらねど、わが身一つにあらず、過ぎたまひにし御面伏せに、軽々しき心どもつかひたまふな。おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。ただ、かう人に違ひたる契り異なる身と思しなして、ここに世を尽くしてむと思ひとりたまへ。ひたぶるに思ひなせば、ことにもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして、女は、さる方に絶え籠りて、いちじるくいとほしげなるよそのもどきを負はざらむなむよかるべき」

(「この世の習いとして、死別というものは避けられないことであるようだが、何か気持の慰さむようなことがあれば、その悲しさも薄らげることができるもののようだが、また後のお世話をお願いできるような人もなく、心細いご様子のお二人を、見捨てて行くことがまことに辛いことよ。

けれども、その程度のことで往生への道が妨げられて、無明長夜の闇にまで彷徨うことはつまらないことだから、一方で、このようにお世話して来た今まででさえ現世に執着を持たぬようにしていたのだから、死んでしまった後のことは思うべきことではないけれども、私一人だけのためでなく、亡くなられた母君の面目をもつぶさぬように、軽率な考えを起こしなさるな。よくよく頼りになる人でなければ、人の甘い言葉に誘われて、この山里を離れなさるな。ただ、このように世間の人とは違う身の上とお思いになって、ここで一生を終わるのだと覚悟を決めなされよ。一途にその気になってしまえば、何事もなく過ぎてしまう歳月なのであるよ。まして、女は、女らしくひっそりと閉じ籠って、ひどくみっともないと評判になり世間からの非難を受けないのがいいだろう」)

ここで八の宮は、まず、死別は避けられないもので、姫君たちを残して死ぬことがつらいと言っているのだが、ここで気になるのが、「また見譲る人もなく、心細げなる御ありさまどもを、うち捨ててむがいみじきこと」と言っているところである。

これは、自分の亡き後、姫君たちの世話をお願いする人がいないから、心細い生活を余儀なくされる姫君たちを置いては死ねない、と言っているのである。しかし、八の宮は、自身亡き後の姫君たちの後見については、すでに薫に対して、機会あるごとにそのことを要望し、薫からも、そのつど確約を得て来たことではなかったか。しかも、同じ季節の秋の初め、二人は、次に掲げる和歌を詠み交わし、姫君たちの後見についての約束を強く確認し合っているのである。


(八の宮)

我なくて草の庵は荒れぬともこのひとことはかれじとぞ思ふ

(自分が亡き後、この粗末な草の庵(山荘)は荒れたとしても、姫君たちを助けてくださると約束されたお言葉は、無くなることはないと存じます)

(薫)

いかならむ世にかかれせむ長き世の契りむすべる草の庵は

(どのような世になったとしても、どうして忘れることなどありましょうか、末永くお助けするとお約束いたしたこの草の庵(山荘)のことを)


これは、七月初秋、宇治にやってきた薫に、八の宮が、自身の死後、姫君たちの後見を再度依頼し、そのことを了解した薫とのやり取りを承けての、あらためての贈答であった。

八の宮の山寺参籠は、この直後のことであるから、ここで、八の宮が、このような薫との約束事があることを忘れたかのような言葉を残すことをどう考えればいいのであろうか。姫君たちに対して、言う必要がないとの認識であったのか、あるいは、まだ言うべき時ではないと考えたのか、それとも、たんに言いそびれただけのことなのか。

八の宮にとって、自身の死後、姫君たちの生活の問題は、昔からの大きな懸念であった。そして、その懸念を払拭する人物として薫が登場し、薫は、みごとにその期待に応えた、としなくてはなるまい。であるならば、八の宮は、もはや、後顧の憂いなく、仏道修行の最終段階へと歩みを進めるべきであったであろう。

さらに、この八の宮の遺言を見てみよう。この遺言の中盤から後半にかけて、八の宮は、文法で言うところのいわゆる「命令形」のかたちで、畳みかけるように言葉を発している。それは、次の箇所である。

軽々しき心どもつかひたまふな。おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。ただ、かう人に違ひたる契り異なる身と思しなして、ここに世を尽くしてむと思ひとりたまへ。

最初の「軽々しき心どもつかひたまふな」は、根本的な心構えの教えであろう。そして、次に続く二つの命令形で発せられた言葉は、姫君たちに対する具体的な「指示」であった。要するに、この山荘で暮らし続けよ、ということなのである。これらのことが、二人の姫君に、強い口調として発せられたのだが、その言葉は重い。

この言葉が、結果的に、八の宮の最後の言葉として遺ったのであるが、やはり、この言葉には、何かが抜けていると思わないわけにはいかないのである。それは、ここで暮らし続けるとして、その生活の基盤はどう支えられるのか、というきわめてリアルな問題のことである。

八の宮は、これらの言葉を「遺言」として認識し発したのであれば、やはり、自身亡き後の後見「薫」の存在と役割については、姫君たちに正確に話しておくべきだったと、私は思う。

この稿続く

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