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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第31回
大い君の死について(十八)


匂宮と「女はらから」、そして「中の君」へ

「薫と「女はらから」の物語に匂宮が参加したのは、ほかでもない、薫自身の誘引によるものであった。幼児期から兄弟のように育った二人は、時に競い合いもするが、基本的には隔意のない親友であった。その二人が、青年期に、恋の当事者として生きるのであれば、そこには、自身の体験談の秘匿と披瀝という愉楽にも似たせめぎあいが生じるのも必然であって、薫は、結局、自身の宇治行きのことを、親友の匂宮に披瀝するという誘惑に勝てなかったのである。

薫が、宇治の姫君たちの存在を匂宮に話したのは、前稿でも述べたように、「橋姫」巻末近くのことであった。この二人のやり取りは、「帚木」巻頭近くでの光源氏と頭の中将とのそれを思い出させるものがあるが、それは、いつの時代でもよく見る青春の一齣でもあるからだ。そして、「雨夜の品定め」では、次のような馬の頭の言葉があったことが思い出される。

さて、世にありと人に知られず、さびしくあばれたらむ葎の門に、思ひのほかに、らうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ、限りなくめづらしくはおぼえめ

(そのようにして、世に生きていると人に知られることなく、寂しく荒れ果てたような陋屋に、思いもかけず、かわいらしげな様子の人が閉じ籠もっているのは、この上もなく素敵なことに思われるだろう)

思いもかけないところで美女を見出す悦びは、世に共通する色好みの論理と言っていい。この論理が、『伊勢物語』「初段」に始まり、「若紫」巻、「橋姫」巻へと展開する恋の物語設定であったことは、すでに何度も述べたところである。ことあらためて説明するまでもないが、都から離れた「宇治」の地で、ひっそりと世を逃れ棲む八の宮とその姫君たちの存在は、あたかも、上記「雨夜の品定め」での馬の頭の言葉に合致するこの物語における最後にして最高の恋のテーマ設定であった。

薫もむろんそうだと言えるが、しかし匂宮こそが、この物語設定にうってつけの色好みではなかったか。その匂宮に、作者は、「橋姫」巻に続くかたちで展開する「椎本」巻頭で、格好の機会を与えるのである。それは、匂宮が初瀬(長谷寺)に詣でた帰りに、中宿(なかやどり)として右大臣夕霧が所有するところの宇治の「別業」に宿泊するというものであった。

夕霧が所有する宇治の「別業」とは、宇治川南岸、現在の平等院が位置するあたりと思われる。この物語が執筆されている当時(11世紀初頭)は、むろん、そこは「平等院」ではなく、道長所有の「別業」、すなわち、豪壮な別荘の「宇治殿」であった。

「宇治殿」は、もともとは源融が造営した別業で、その後、陽成、宇多、朱雀天皇へと引き継がれた。「宇治院」という呼称もあったが、それは上皇の「院」としても使われたからで、その後、道長が所有する頃には、宇治殿と言うようになったのであろう。

「椎本」の巻頭で、この夕霧の別業は、

六条院より伝はりて、右の大殿知りたまふ所

(光源氏から伝領して、夕霧の右大臣がご所有の所)

と書かれている。むろん歴史上の宇治殿と合致するわけではないが、当時の読者としては、豪奢であったであろう道長の「宇治殿」と、そのイメージを重ね合わせたものと思われる。

その夕霧の別業を、匂宮は、「中宿」として使用するのである。将来の最有力な天皇候補である匂宮に、右大臣の夕霧が後見を惜しまないのは当然のことであって、やがて夕霧は、自身の六の君の婿として匂宮を迎えることとなる。が、このことは、今は措こう。ともかく、匂宮は、この時、対岸の八の宮の山荘にひっそりといる「姫君たち」の存在が、最大の関心事であったことは言うまでもない。

夕霧の別荘に宿泊した翌日、対岸の八の宮から挨拶の「御文」(歌)が届く。こういうやり取りに俊敏に行動する匂宮は、「この御返りはわれせむ」(このお返事は私がしよう)と、早速返歌を送るのであるが、この時の八の宮と匂宮との贈答が、あるいは、匂宮と中の君とを繋ぐ端緒となったのかもしれない。

引き続き匂宮は、「おもしろき花の枝」(見事に咲いた桜の花)を折らせ、歌を送るのである。

山桜 にほふあたりに 尋ね来て 同じかざしを 折りてけるかな

野をむつましみ

(山桜が咲き匂う宇治にやって来て、あなた方と同じ皇族の私は、このような美しい挿頭を手折ったことです

この地に親しみを感じるので)

「同じかざし」という語句や、歌とは別に添えられた「野をむつましみ」という表現などから、この贈歌には、あきらかに八の宮を同じ皇族と見る匂宮の認識が示されていよう。ただ、それと同時に、「挿頭」を送るということは、対姫君という気持が顕著なのであって、この歌には、さすがに八の宮は応ずることはできなかった。そこで、「姫君たち」(女はらから)のどちらかが応じなければならないのは当然であって、この局面で、八の宮は、

中の君にぞ書かせたてまつりたまふ

(八の宮は、中の君に返歌をお書かせ申し上げなさる)

という展開を選択したのである。中の君は、八の宮の指名により、匂宮への返歌をしたためたのであった。

かざし折る 花のたよりに 山がつの 垣根を過ぎぬ 春の旅人

野をわきてしも

(挿頭にする花を折るついでに、この粗末な山賤の家の垣根を通り過ぎただけなのです、行きずりの春の旅人であるあなたは

わざわざ私どもを尋ねて来られたのではありますまい)

匂宮に届けられた中の君の文について、物語は、

いとおかしげに、らうらうじく書きたまへり。

(とてもきれいに、いかにも見事にお書きになっていた)

と語るが、むろん、匂宮の眼に映じた印象に即した表現であることは言うまでもない。

ここにおいて、匂宮と中の君との物語は、偶然とはいえ、あたかも運命の歯車が静かに嚙み合ったかのごとく動き始めた、と言えるのではないか。

この稿続く

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