河地修ホームページ Kawaji Osamu
http://www.o-kawaji.info/

王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第23回
大い君の死について(十二)


「まめ人」薫の「色好み」

「言うまでもなく、作者は、薫という人について、その誕生から描き続けている。幼少期はともかく、自身の出生の不審に悩む青年期は、その「まめ人」ぶりは特筆に値するほどで、彼は仏道の世界に強く心惹かれるのであった。常に脱世間を意識する薫は、結果として、宇治に住む「俗聖」として声望の高い八の宮に出会うこととなったのであった。

薫は、八の宮をそういう高みに達している人物として求め、八の宮は、薫がそういう人物として自分を求めていることを、十分に認識している。両者の親交は、そういうそれぞれの思いが一致したところから、始まったのである。

作者は、そういう薫に、彼としては想定外の二人の姫君を垣間見する機会(橋姫巻)を与えたのであった。その物語設定は、「若紫」巻に引き続き、『伊勢物語』「初段」の世界を下敷きとしていることは、すでに述べた。この薫の「垣間見」こそ、作者が薫に与えた一種の試練と考える時、我々は、人間というものが併せ持つところの「理」(まめ)と「情」(色好み)との相剋に直面せざるを得ないのである。

薫は「まめ人」である。そういう人物として造型されているとは、確かに言えるであろう。しかし、それは、薫の強力な一面であって、その対極に位置する「色好み」性を持たないということではない。しかし、人は、人たるものを、そういう強力な一面の評価を以て括ろうとするのではないか。思うに、八の宮は、薫の本質を、ついに「まめ人」という評価の外には見ることができなかったのではないか。


「まめ人」薫の「色好み」

「まめ人」である19歳の薫を、物語(「匂兵部卿」巻)は、かつて、次のように語っていた。

心にまかせて、はやりかなる好きごと、をさをさ好まず、よろづのこともてしづめつつ、おのづからおよつけたる心ざまを、人にも知られたまへり。
(勝手気ままに、浮ついた好色事は、一向に気が進まず、万事控え目に振る舞っては、自然と老成した気性の方であると、周囲の人にも知られていらっしゃる。)

このような世間にも周知の「およつけたる」薫を、物語は、恋の世界の主人公として迎えねばならない。薫にとって、その転機となったのが、まさしく「橋姫」巻における「垣間見」の場面であったに違いない。これは、並みの「垣間見」の場面ではなかったのである。「宇治」という思いがけないところでの美しい「姉妹」の「垣間見」であった。しかも、その姉妹は、「俗聖」である「八の宮」の姫君なのである。薫が、『伊勢物語』「初段」に言うところの「おもほえず、ふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり」という心情に陥るのは、蓋し当然の結果であった。

そして、薫の「色好み」へ転機を、作者は見事な仕掛けで誘引している。その「垣間見」の場面は、薫が、「その琴(こと)とも聞き分かれぬものの音(ね)ども」(どの琴かとも聞き分けることができない演奏の音色)を耳にしたところから始まっている。その時、薫は、この「ものの音」が、あるいは、八の宮の高名な「御琴(きん)の音(ね)」か、と思ったのであった。

「琴(きん)」とは、我が国では、主として天皇に受け継がれるべき特別な楽器(七絃琴)であることは言うまでもないが、「八の宮」がその楽器の名手であることの物語上の意味については、別稿を用意しなければならぬ。ともかく、その時の薫の印象は、あたかも、それが天上の楽人が奏でる調べかと聞こえたのではあるまいか。しかし、その音に誘われるままに歩みを進めた薫は、やがて、それが、「琵琶」と「筝」の合奏であること、そして、その奏者が、八の宮の二人の姫君であることに気付くのであった。

この場面では、薫を導く端緒として、八の宮の「琴(きん)」ではないか、と興味をそそられる「ものの音」が用意され、薫は、それに誘われるかたちで邸内へ、そして、それが姫君たちの「筝、琵琶」であることを知って、そのまま決定的な「垣間見」へとことが進められている。この流れこそ、薫の内面に存する「色好み」の誘引過程の表徴そのものであったに違いない。

薫は、突然「色好み」へと変貌したのではない。それは、自らが内面に持つもの(色好み)に目覚めただけのことであって、そういう転機というものは、人は誰しも突如として迎える時があろう。深く人間を観察してやまない作者の力量は、当時「古典」としてその「名」の高かった『伊勢物語』の世界(初段)に、ある意味リアルな人間ドラマの息吹を吹き込むことに成功したと言うことができるであろう。

しかし、問題は、八の宮なのである。八の宮は、薫が自分の娘たちを垣間見したことを知らない。薫への印象は、「俗聖」の自分を求める「まめ人」のままなのであった。

この稿続く

一覧へ