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王朝文学文化研究会 


文学文化舎


講義余話

王朝貴族文化の管絃と舞 (平成21年11月24日_日本文学文化概説B)

王朝貴族文化とはいったい何だろうと、時にふと自問したくなる時がある。日本文学文化史の中で、王朝貴族の果たした役割はとてつもなく大きいものがあるのだが、その文化の本質とは何だろうと、あまりにも今の我々の文化とは隔絶した世界に、なかば呆然とする時があるのだ。

管弦の合奏風景 11月24日、東洋大学白山キャンパスで開催された“東洋大学文学部伝統文化講座”の「王朝貴族の管絃と舞」を見ながら、私は、またしてもそういった思いにとらわれていたのである。「管絃」を「遊び」とはよく言ったものだ。悠然と流れる管絃の響きに身をたゆたわせながら、この文化の本質はまさしく「有閑」に違いないと確信するのである。平和な時代には、人の心を豊かに育む文化が醸成されるにちがいない。その心地よさが、王朝貴族文化にはあるのである。

和琴・琴・琵琶・筝・笙・篳篥・横笛といった楽器は、基本的に合奏という形態で演奏されるものであるが、当日は、雅楽演奏家のみなさんが、それぞれの楽器の特徴について、簡単な演奏とともに、解説が行われた。この中でも、男性が横笛で、女性は琴(弦楽器の総称)であったという指摘はおもしろい。男性貴族は、私邸と宮中とを往還する生活スタイルをとる以上、楽器は横笛のように常に携帯できるものでなければならなかった。もちろん、男性も弦楽器を演奏することはあったが、女性は常に室内に居住する以上、持ち運ぶことの出来ない弦楽器専用になるのは、当然のことであっただろう。

和琴の立ち居での演奏 このなかで、和琴(わごん)は、我が国固有の楽器であり、神楽や東遊びなど、神前で演奏されることが多かった(その場合は立ち居で弾くケースが多かった)。つまり、土着の文化に直結する楽器であり、もともと、日本全国の広範囲な階層世界で演奏されていたものと思われる。「あづま琴」とも「やまと琴」とも呼ばれたのは、そういうこの琴のあり方が理由となっている。

童舞 ところで「和琴」と言えば、『源氏物語』最高のヒロインである「紫の上」がその名手であった。この国の伝統文化を堂々と受け継ぐヒロインとして「紫の上」は造型されているのである。この国の伝統文化というものを、紫式部の時代に時間軸を据えて考えてみるのもおもしろいだろう。いつの時代でも、伝統と創造との相克というものはあったに違いない。

どのようなことでも同じことだが、実際にものを見たり、聴いたりすることは重要である。この公演をきっかけに、ぜひとも王朝貴族の生活スタイルに想像を膨らませてほしいと思う。