河地修ホームページ Kawaji Osamu
http://www.o-kawaji.info/

王朝文学文化研究会 


文学文化舎



講義余話

平成30年王朝研文学文化散歩-京都(一)

 

石清水八幡宮の石清水

8月26日から27日にかけて、京都を訪れた。例によって、初日は京都駅に11時半に集合、そのまま石清水八幡宮をめざした。昨年仁和寺を訪問した際、『徒然草』に、仁和寺の法師が「先達(せんだつ)」がいなかったがために、山麓の「極楽寺、高良などを拝み」て、肝心の石清水八幡を参拝することなく帰ったという話にちなんでの訪問である。

今では、男山山頂の八幡宮近くまでケーブルカーが運行されているため、よほどのことがなければ、麓にある高良神社だけを参拝して帰るというようなことにはならない(極楽寺は今はない)。つまり、『徒然草』に描かれる仁和寺の法師のような滑稽譚は、まず生まれなくなったのである。

 

「国宝という文字が目立ちますね」

 

と、ある人が小さな声で言う。確かに、境内にある案内の看板には「国宝」という文字が強調されているようにも思える。

事実、石清水八幡宮の境内全域の建物群は、堂々国宝に指定されているのだが、実は、この国宝指定は比較的最近のことで、平成28年2月9日のことであった。文化財を所有する観光地の神社仏閣は、そこが「国宝」であるかどうか(あるいは「国宝」を所有するかどうか)で、それこそ天国と地獄ほどの差が生じる。由緒ある石清水八幡宮にとって、国宝指定は垂涎のことであったに違いない。この国宝指定により石清水八幡宮への参拝客が飛躍的に伸びてほしいとは思うが、京都では「国宝」を越える「世界遺産」の文化財がひしめいている。文化財を目玉とする観光地も競争が激しく、その生業も決して楽な時代ではないようだ。

 

石清水八幡宮本殿
石清水八幡宮本殿

 

ところで、男山の山腹に「石清水社」という摂社があることに気が付いた。Mさんがそこに行きたいと言うので、猛暑の中、行ったのである。Mさんは、王朝研の文学散歩に最初から参加しているご婦人で、旅の途中、瞬時の提案をされる方である。この時も、

 

「わたし、ここに行きたい!」

 

と、強く言われるので、我々も全員で行くことにした。そこは、本殿からかなり下がったところで、当たり前のことだが、帰りは、ふたたび本殿のあるところまで登り、ケーブルカーに乗らねばならない。

しかし、そこを訪ねてみてよかった。「石清水社」は小さな祠があるだけのごく地味な社なのだが、そこには実際に「石清水」が湛えられていたのである。おそらく、古代の旅人たちは、都への往還の都度、この男山山腹の「岩清水」に立ち寄り、水分の補給を行ったものと思われる。文字どおり、旅人の命の源泉が「清水」なのであって、石清水社は、そういう古代日本人の自然に対する報謝の念の表れと言っていいだろう。

ただし、この時の「石清水」は清く溢れ出ている清水といったものではなく、この夏の猛暑にすっかり疲れ果てている「水」という風情ではあった。

 

石清水社
石清水社
鳥居の奥の小さな神殿下に清水が湛えられている。

 

2018.9.3 河地修

一覧へ

>