-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第115回
つくも髪の女(63段)(一)
「心なさけあらむ男」
「62段」に続く「63段」は、なんとかして「心なさけあらむ男」に逢いたいと願う「世心つける女」の話である。そして、その「心なさけあらむ男」には「在五中将」(在原業平)が選ばれたというわけで、まさに「在五中将」でなくては成り立ち得ない話ではあったということになる。
この「心なさけあらむ男」とは、思いやりのある心優しい男、ということであって、唐突に置かれたキャラクターのように思えるが、実は、前段の「62段」に登場する冷徹非情な男「もと見し人」と対をなしている。この対応の連続による章段配列は、『伊勢物語』特有の配列原理であって、作者は、ここで理想的な「いろごのみ」として思いやりのある心優しい男の「在五中将」を登場させたと言えよう。
『伊勢物語』の中でも、「63段」は重要な意味を有する章段である。章段の分量が比較的長いということもそうであるが、物語としての構造もしっかりしている。作者の力が充溢している物語と言っていいだろう。以下、物語本文と現代語訳を掲げる。
≪本文≫
昔、世心つける女、いかで心なさけあらむ男に逢ひ得てしがなと思へど、言ひ出でむも頼りなさに、まことならぬ夢語りをす。
子三人を呼びて、語りけり。ふたりの子はなさけなくいらへてやみぬ。三郎なりける子なむ、
「よき御男ぞいで来む」
とあはするに、この女、けしきいとよし。ことひとはいとなさけなし、いかでこの在五中将に逢はせてしがな、と思ふ心あり。狩しありきけるに行きあひて、道にて馬の口を取りて、
「かうかうなむ思ふ」
と言ひければ、あはれがりて、来て寝にけり。
さて、のち、男見えざりければ、女、男の家に行きて、垣間見けるを、男、ほのかに見て、
百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆとて、出で立つけしきを見て、むばら、からたちにかかりて、家に来て、うちふせり。
男、かの女のせしやうに、忍びて立てりて、見れば、女、嘆きて寝とて、
さむしろに衣かたしき今宵もや恋しき人に逢はでのみ寝む
と詠みけるを、男、あはれと思ひて、その夜は寝にけり。
世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は、思ふをも、思はぬをも、けぢめ見せぬ心なむありける。
≪現代語訳≫
(昔、好色で男好きな女が、なんとかして思いやりのある優しい男と共寝がしたいと思うのだが、そのことを人に言うにも適当な機会がないものだから、見てはいない嘘の夢の話をする。
女は、三人の子を呼んで、語ったのだった。上の二人の子は、すげなく答えただけで相手にすることなく終わった。三番目であった子は、
「そのうち必ず素敵なお相手が現れるであろう」
と、夢解きをするので、女は、機嫌がすこぶるいい。この三番目の子は、他の男はまったく優しさがない、なんとかしてこの在五中将に逢わせてやりたいものだ、という気持がある。そこで、在五中将が鷹狩をして回っているのに行き会って、馬の口を取って、
「これこれこのように思う」
と言ったので、男は心を打たれて、女の家に来て共寝をしたのだった。
そうして、その後、男は姿を見せなかったので、女は、男の家に行って、垣間見したのを、男はちらりと見て、
百歳に一歳足りないほどの年老いたつくも髪の老女が、自分を恋しく思っているようだ、その姿が幻となってそこに見えることだ
と詠って、出掛けようとする様子であるのを見て、女は、茨や枳殻に引っ掛かって、家に帰ってきて、思わず臥せっている。男は、その女がしたように、こっそりと外に立っていて、見ると、女は、嘆いて寝ているという風情で、
狭い敷物に自分の着物だけを敷いて、今夜もまた、恋しい人に逢うこともなく寝るばかりなのであろうか「これこれこのように思う」
と言ったので、男は心を打たれて、女の家に来て共寝をしたのだった。
そうして、その後、男は姿を見せなかったので、女は、男の家に行って、垣間見したのを、男はちらりと見て、
百歳に一歳足りないほどの年老いたつくも髪の老女が、自分を恋しく思っているようだ、その姿が幻となってそこに見えることだ
と詠って、出掛けようとする様子であるのを見て、女は、茨や枳殻に引っ掛かって、家に帰ってきて、思わず臥せっている。男は、その女がしたように、こっそりと外に立っていて、見ると、女は、嘆いて寝ているという風情で、
狭い敷物に自分の着物だけを敷いて、今夜もまた、恋しい人に逢うこともなく寝るばかりなのであろうか
と詠んだのを、男は、心をうたれて、その夜は共寝をしたのであった。
男と女のあり方として、いとしく思う相手をいとしいと思い、いとしく思わない相手はいとしいと思わないものだが、この人は、いとしく思う相手も、思わない相手も、差別を見せない心があったのであった。)
読んで明らかなように、「世心つける女」が、なんとかして「心なさけあらむ男」を「逢ひ得てしがな」と奮闘する話で、その喜劇仕立ての必死さに三男の母親孝行ぶりも加わって、面白く読み応えのある物語だと言えよう。
指摘したように、63段の「心なさけあらむ男」は、62段(60段も同じだろう)の男性主人公と対極にある。60、62段の場合、女に対する男の冷徹な仕打ちには、その起因するところのものが女の過ちにあったと言えるのだが、その過ちを決して許さぬ厳しさがあった。
物語としては救いのない結末ではあったが、その直後の63段で、作者は在五中将を登場させ、物語本来のエンターテインメント性を創造したのだ。作者は、陰陽交互に織り交ぜるこの物語特有の配列構造を、ここにも示したと言える。 v
さて、次に「世心つける女」について考察せねばならない。
―この稿続く― >
2026.8.1 河地修
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