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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第114回
「いにしへのにほひはいづら」(62段)(二)

 

「物を食はせる女」

それにしても、62段の女の転落は残酷としか言いようがない。そのことは、の誘いに従って地方へ下り、そのことから「運命が暗転した女」の物語と言っていい。次に本文を掲げよう。

はかなき人の言につきて、人の国なりける人に使はれて、もと見し人の前にいで来て、物食はせなどしけり

と語られるが、文体の面から言えば、「~て、~て、~て」と接続助詞が連続して使用されることにより、述部「物食はせなどしけり」までの過程が直線的に下降線を描いて表現され、容赦ない。

この62段の女は、甘い言葉に乗せられ、地方で「使はれ」る身の上となったのであるが、前稿でも述べたように、この転落の起因するところは、結婚にあたっての女の立場の脆弱さ―経済的に不安定な夫との結婚生活―の隙を突かれるかたちで騙されることとなったのである。この当時、中、下流階層に属する女たちの結婚の多くは、このようにいつ破綻するかわからぬきわめて不安定なものであった。 ともかく、女は、人の甘言に乗り、地方へ連れて行かれ、転落した。おそらく国司の三等官クラスの家の使用人となり、偶然都から使者としてやってきた前夫に、「物食はせなど」したのであった。

しかし、ここで言う「物食はせなど」する女とは、すでに貴族階層からは転落した女であった。女房の階級として知られる上臈、中臈、下臈のうち、その下臈にも数えられない最下流のそれと言っていい。

例えば、時代は飛ぶが、近世以降、旅籠などで旅客の夜の相手もするいわゆる「飯盛り女」と称される女の存在が報告されているが、それと実態は変わらないであろう。だからこそ、都から来た前夫は、夜になって、「このありつる人たまへ」と、ごく当然のように、夜伽として自らの寝所に呼んだのである。

男が「いにしへのにほひはいづらさくらばなこけるからともなりにけるかな」と詠い掛けている点、男にとって、女は、以前は少なくとも「さくらばな」のような「にほひ」を持つ魅力的な妻だったのであろう。それが今、目の前に「物食はせなど」する女として現れた。その落差が、「さくらばな(桜花)」と「こけるから(痩ける幹)」との対照として表現されたのである。男が目の当たりにする「貴族階層」から「非貴族階層」への転落であった。

 

23段「高安の郡の女」

62段の「物を食はせる女」に関連して思い出されるのが、23段の「高安の郡の女」ではあるまいか。23段は、「筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」と「くらべこしふりわけ髪も肩過ぎぬ君ならずして誰か上ぐべき」の男女両主人公の贈答が印象深く、「たけくらべ」の愛称でも知られている。幼馴染のふたりが「本意のごとく」結婚し、まずはめでたく落ち着くのだが、しかし、その後、女の親が死去し、夫を婿として世話することが困難になる。それを見た夫が、別の女のところに「婿」として通うという展開で、その女が「高安の郡の女」なのであった。

23段は、物語の舞台を「大和」とはしているものの、そのテーマは、「没落貴族」がかろうじて守り続けた「貴族の精神」にあったことは拙稿で述べた(「伊勢物語「筒井筒」章段考-化粧をする女、あるいは没落貴族のこと-」『文学論藻』64号 1990.2、『伊勢物語論集』所収)。

冒頭「昔、田舎わたらひしける人の子ども」と語り出されることから、主人公たちの親は、国司、もしくは郡司などの系列で働く人だったのではないかと推測するが、もとは都を本貫としていたであろう。当時、何らかの理由で、都を離れざるを得なくなった下級貴族は多く存在したのである。

23段ではその下級貴族の子どもたちが結婚したのだが、それが正規の婚姻であったことは、男が女のもとへ「通ふ」という、いわゆる「通い婚」の形を取っていることでわかる。その婚姻が、経済的困難から崩れかけ、男は「高安の郡の女」の処へ通うことにしたのである。つまり、男が「高安の郡の女」のもとに通うのは経済的事由なのであって、よく言われるような男の浮気のなせる業では必ずしもない。

この「高安の郡の女」であるが、男を「夫」として世話をするだけの経済力があることは自明であろう。古代、「河内」と「大和」を結ぶルートとして「龍田越え」の古道があったことは知られているが、「高安」は、龍田越えの河内側の起点に当たる所で、そこには、公設の「布施屋」か、もしくはそれに代わるような宿も設置されていたのではないか。

「高安の郡」の女が、そこで宿を営んでいたかどうかはわからない。ただ、大和から通って来る男に「今はうちとけて、手づから飯匙」を取る行為を示したということは、女が、あるいは「非貴族階層」出身であることを強く示唆したものと言えるのではないだろうか。

 

 

2026.2.22 河地修

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