河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-源氏物語講話-

第54回
大い君の死について(二十五)―中の君の結婚(4)


催馬楽の「総角」を巻名に用いるということ

「催馬楽(さいばら)」は、奈良時代後半から平安時代前期にかけて創られた古代歌謡で、宮廷を中心とする平安朝貴族社会で流行した。現在わかっているだけでも60曲以上のものが伝えられており、これらのうちの幾つかのタイトルや歌詞が『源氏物語』の巻名や叙述等で引用されている。

さて、この催馬楽の「総角」である。この語彙の第一義は「総角結び」と言っていいが、これが、古代、催馬楽で取り上げられたのである。「総角結び」は紐の結び方でもあるが、幼児の髪型としても用いられた。したがって、「総角」の語義の一つとして、「少年」を指すことにもなった。そして、むろん、「総角結び」であるから、その縁語として「結ぶ」を連想させたりする。以下掲げよう。

総角や とうとう 尋(ひろ)ばかりや とうとう 離(さか)りて寝たれども 転(まろ)びあひけり とうとう か寄りあひけり とうとう

(総角の少年は、一尋ほどに、少女とは離れて寝たけれども、転んで逢ったことだよ、総角結びではないが、ついに寄って行って結ばれたことだよ)

(『新編日本古典文学全集』「催馬楽」より)

この催馬楽の「総角」は、その語性を下敷きにして謡われているのであって、登場する主人公に少年といった趣を持たせるとともに、ついには、男女が結ばれる、という寓意を持たせているのである。

先に挙げた薫の歌「あげまきに長き契りをむすびこめ同じところによりもあはなむ」は、巻名の「総角」を直接示していることは言うまでもないが、特にその下句の「同じところによりもあはなむ」は、催馬楽の歌詞「か寄りあひけり」を引用したものであることは明白である。

「か寄りあひけり」の「か」は接頭辞とするのが一般的な解釈で、つまりは「よりあふ」という表現なのである。文字どおり、寄って逢う、結ばれる、ということで、最初は離れて寝ていた少年と少女が、寄って行き、ついには男女の仲となった、というのである。

玉上琢彌氏は、『源氏物語評釈』において、薫の当該歌が露骨であることを指摘され、「姫は顔を赤くするであろう」と述べられた。「姫」とは大い君のことで、玉上氏は、大い君が催馬楽の「総角」の歌詞を知っていたとの認識を示しておられる。氏のご指摘のとおりで、この当時、薫という宮廷を代表する貴公子も、没落したとはいえ、宮家の姫君大い君も、この催馬楽の「総角」には親しんでいたことがわかるのである。

むろん、このくだりを執筆した紫式部も、この催馬楽「総角」への認識は、物語中の薫や大い君と何ら変わるところはない。と同時に、この物語の直接の読者である彰子と側近の女房達もそうであったろう。とすれば、紫式部が、この巻の名称を「総角」とした時点から、その巻名は、歌詞の「か寄りあひけり」を暗示してもいると言えるのである。

これは、『源氏物語』の巻名の問題でもある。過去、さしたる根拠もなく、巻名は後の読者が付けたもの、というようなことを言う源氏学者がいて、今日なお、その亡霊のようなものに引きずられている著述も散見する。作品創造における常識的あり方からしても、作品(巻)にタイトル(巻名)を付けないなどということはあり得ないであろう。

「桐壺」「帚木」「空蟬」「夕顔」「若紫」と、その前半だけでも精密に読み進めてみれば、いかにこのタイトル(巻名)が、作者紫式部によって深く思索された結果のものであるかはわかることである。

ただし、紫式部の場合、この思索の深さが尋常ではないのである。一筋縄ではゆかぬレベルと言ってもいい。巻名の示唆する世界が、簡単に解る場合もあれば、解らぬ場合もある。解ったとしても、見事にその予想を裏切る場合もある。「総角」は、まさにその後者に当てはまるものと言っていい。

つまり、この巻名「総角」によって、読者は、男女両主人公の結婚(か寄りあひけり)を予想するのであるが、いうまでもなく、その結末は、予想を大きく裏切ることとなった。それはあたかも、かつて「若菜」という巻名からもたらされる祝祭のイメージが、読み進めることによって、見事に反転したように―。

この稿続く



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