源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成22年6月30日 第29回 水曜部会

【報告】
  6月30日の水曜部会の報告です。参加者は先生方を含めて10名。担当は私鈴木香緒里、「桐壺」37~38頁<源氏、左大臣の姫君と結婚>を発表しました。
  まず10行目の「なかめる」の読み方についてのご指摘ですが、表記にはない「ん」を補って読むのを忘れていました。正しくは「なかんめる」です。よく間違えるので気をつけたいと思います。
  次に「春宮よりも御けしきあるを」について。これは実際には春宮の後見である弘徽殿の女御、右大臣らの意向であると思われます。私は「斎宮の時とは違い、姫君の入内がならなかったことへの春宮の落胆は見られない」ことに注目しましたが、この時春宮は14~15歳の少年であり、斎宮のように実際会って思いを寄せていた訳でもない姫君の入内がならなくても落胆しないのは自然、とのことでした。
  左大臣が春宮ではなく源氏と葵の上を結婚させたことに関しては、それほど異常ではない、というご指摘がありましたが、その理由が私にはよくわかりませんでした。左大臣が「聖代」の臣下であった、ということでしょうか。左大臣が次世代の天皇の外戚の地位を捨ててまで源氏を選んだ理由には、まだまだ議論の余地があると思います。
  続いて「副臥」のつながりから「正妻」について話が及んだのですが、田辺さんから興味深いご意見をいただきました。「正妻」として認められるには三つの条件があり、「最初の妻であること」「儀式婚であること」、などがあるそうです。この条件は紫の上に悉く当てはまらないので、第二部での彼女の心細さや出家願望がより理解できました。
  最後に「後見」について、古田さんからご指摘をいただきました。どの注釈書もはっきりと訳していなかったのですが、「源氏を世話する」「源氏が妻として世話する」という二通りの解釈ができます。この「後見」にも「身分の高い人が低い人を(政治的に)世話する」場合と「身分の低い人が誰かを(教育、生活面で)世話する」場合があるそうです。ただ、ここでの源氏は外戚がなく、官位もまだ低いので「源氏を世話する」という解釈でよいと思います。

学部4年 鈴木香緒里


※資料(アクセスキーを入力してください)
  「桐壷巻」37p~38p