源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成22年5月8日 第18回 土曜部会

【報告】
  参加者は、河地、野呂、下河、古田、田辺、長坂、大川、川畑、酒巻、市川の10名(敬称略)でした 。
  先週に引き続き、野呂先生より『古今集』成立に至る過程としての文学史の説明が行われました。9世紀前半は、嵯峨天皇主導の、唐風謳歌の時代(国風暗黒時代)、やがて9世紀の後半には、徐々に国風文化へ回帰する傾向となり、宇多朝を中心に、宮中にて歌合が開催されるようになりました。「寛平御時后宮歌合」がその代表的なものと言えます。また、『句題和歌』や『新撰万葉集』など、漢詩と和歌との融合の作品も編集されたことなど、この時期を象徴するものと言えるでしょう。   野呂先生の解説のあと、少しでも本文を読解しようということで、古田君担当の最初の歌、8番歌に入りました。六歌仙の一人、文屋康秀の歌ですが、清和天皇妃藤原高子の「春宮の御息所」と呼ばれていた時代、文屋康秀に歌を読ませた、という詞書の歌です。藤原高子は、『古今集』では、「二条の后」と呼ばれていますが、『古今集』編纂時(905)、高子は、「后」としての地位を剥奪されており、この呼称は、『古今集』における特別扱いの計らいがあったものと思われます。ちなみに「二条の后」という呼称は、『古今集』以外では、『伊勢物語』に見えることも注目されます。藤原高子は、文屋康秀や在原業平との関わり等、9世紀の和歌史を考える上で、極めて重要な人物であり、今後、注目していかなければならないでしょう。
  次回も古田君の担当で、9~11番歌の予定です。

河地修


※資料(アクセスキーを入力してください)
   『古今和歌集』8~11番歌(p24~p25)