源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年12月12日 第13回 土曜部会

【報告】
開催場所:白山キャンパス6306教室
出席者:6名
発表者:古田正幸

今回はテキスト22ページを担当させていただきました。『古今和歌集』「仮名序」の最後の部分で、『古今集』編纂の喜びを書き上げています。

担当箇所は「この」「こと」など何を指しているのか具体的に明らかでない語が多いのが難点でした。こうした解釈の難しさの一因には、漢文を仮名文に置き換えるという文の作りにも起因しているのかもしれません。注釈書でも様々な説が展開されており、通説らしきものを見出すのが困難な状況です。例えば、今回の発表では5行目の「歌のこととゞまれるかな」の箇所の「こと」を「事」と解釈し、「歌の心」と置き換えて現代語訳を行いました。発表後の講評では、河地先生から「うたのこと」は「歌の言」で、「歌の文字」と同義であろうとご指導いただきました。ご指摘を受けてみると、8行目の「ことの心」などと同様に「言」の意で解したほうが、担当箇所全体の趣旨である「文字として歌を残す喜び」もはっきりしてくるように思います。

もっとも解釈の難しさとは別の問題として、言葉の運びや行間からは、『古今集』編纂により、和歌の一時代(貫之たちが位置づけるところの和歌の中興の時代)を作るのだという高揚感が強く伝わってきます。古典文学作品の評価は、享受する時代の思想や、文化の担い手によって様々に変化していきます。現代においては、『古今集』が即座に打ち捨てられ滅びる可能性こそ少ないでしょうが、貫之が期待したような「いにしへを仰ぎて今を恋」う、つまり『古今集』の時代を思って恋焦がれる人もまた少ないでしょう。そうした価値観の変動性を踏まえたうえで、『古今集』の価値の普遍性を書き上げた貫之たちの高揚の一端を実感できることは、古典を読む楽しさの一つと感じています。

さて、年明けからはいよいよ『古今集』巻一に入り、和歌を読んでいくことになります。今後の研究発表も楽しみでなりません。会のますますの発展と成功をお祈りしています。皆様良いお年をお迎えください。


東洋大学大学院博士後期課程
古田 正幸

 


※資料(アクセスキーを入力してください)
  『古今和歌集』仮名序 (p22)