源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年12月2日 第14回 水曜部会

【報告】
12月2日(水)。
参加人数は発表者の私、田辺を含め6名でした。

私が担当したのは、テキストの24頁1行目「ともしかなむ」から25頁3行目「いはせたまふ」までの範囲です。
この場面では、更衣の母君を弔問した命婦が退出しようとする様子が描かれています。

24頁9行目に「急ぎ参る」とありますが、命婦はすぐに帝のもとへ帰ったのではありません。 車に乗る前に詠んだ歌を母君に届け、そして母君の返歌が女房から命婦に伝えられるのには時間を要します。 この感覚は当時の人には当たり前のものですが、現代人にはわかりにくい部分です。 このような当時と現代との感覚の違いには今後も注意したいと思います。

24頁9行目からの「月は入り方の~草のもとなり」が、命婦が弔問に来た時の描写と対応しているという大野先生のご指摘には、目が覚めるようでした。 このような点に気づくことができると物語をより一層深く味わうことができるのだな、と、とても勉強になりました。

24頁12行目「草のもとなり」には、新編古典文学全集(以下、新全集)で「引き歌があるらしいが未詳」という註がついています。 湖月抄にも引かれている河海抄には、「古哥詞未勘 蓬かもと同風情歟」と有りました。 大野先生がしてくださった解説で、歌語ではない「草」に「もと」がつくことで雅な歌用の言葉になることがわかりました。 源氏物語で和歌が入るのは物語が盛り上がる場面であり、そのような場面では和歌の前後の地の文にも歌用の言葉が盛り込まれていることが多いのだそうです。 物語の終盤では、地の文に歌用の言葉を散らして敢えて歌を入れない、といった手法も見られるとのことなので、調べてみたいと思います。

25頁1行目からの更衣の母君の歌には、新全集で註がついており、伊勢集と後撰和歌集の歌が引かれていました。 湖月抄の註でも同じ歌が引かれており、伊勢集の「わがごとや雲の中にもおもふらん雨もなみだも降りにこそ降れ」は「涙が降る」の例、後撰集の「五月雨に濡れし袖にいとゞしく露をきそふる秋のわびしさ」は「涙」を「露」に置き換えた例だと考えられます。 この後撰集の和歌は、更衣の母君の歌と同じく「帝の弔問への返事」として詠まれているのも、註に引かれた理由の1つかもしれません。

次回は25頁3行目からです。

学部3年 田辺ゆかり

 


※資料(アクセスキーを入力してください)
  「桐壺」24p L.1~25p L.3