源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年11月7日 第9回 土曜部会

【報告】
開催場所:白山キャンパス6306教室
出席者:6名
発表者:野呂 香

担当箇所は、テキスト16頁6行目から17頁7行目で、和歌の歴史について、和歌が最も隆盛していた時代について述べています。古来、解釈に問題の存する部分であり、諸注釈書においても多くのスペースが割かれています。
最も問題となるのは「ならの御時」の解釈です。多くの注釈書では「奈良に都のあった時代」と解釈していますが、『古今集』における「御時」の用例や、仮名序「かの御時よりこの方、年は百年あまり、世は十継になん、なりにける」の記述からは、古く顕昭も指摘しましたように「平城天皇の御代」と解釈すべきだと考えられます。次に、柿本人麻呂と山部赤人についての記述ですが、質疑応答を通して、平城天皇の時代に、この二人が歌聖として尊ばれたと理解すれば、問題は解決するだろうという結論にいたりました。最後に、『万葉集』の編纂と平城天皇の関係ですが、『古今集』編纂時には和歌の天皇として平城天皇が重視されたこと、醍醐天皇の御代との関係が「百年」、「十代」と象徴的な数字となることから、『古今集』編纂者が、積極的に結びつけた可能性を指摘しました。
今回の担当箇所については、貫之による新たな和歌史の提示であることが考えられるのでないかという可能性を示しました。もちろん、当時の和歌史への理解が示されているともいえるのですが、史上初の勅撰和歌集を編纂、和歌の地位向上が背景にあったのではないかと考えられます。
古典の作品を読むときに、私たちは、現代において知り得る知識に基づいて読んでしまいがちです。しかし、古典作品は、その作品が生まれた時代の知識において、解釈しなければならないと言えるでしょう。今後も、その視点を忘れないようにしなくてはと、改めて感じました。

野呂 香

 


※資料(アクセスキーを入力してください)
  『古今和歌集』仮名序 (p16-17)