源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐

上:『源氏物語』の「胡蝶」巻で、紫の上は、秋好む中宮の「季の御読経」の催事に際して供華を行ったが、その時の使者として遣わされたのが、「迦陵頻」と「胡蝶」を舞う童子たちであった。庭の舞を見る画面奥の秋好む中宮と光源氏、春爛漫の六条院、西南の町である。

源氏物語小屏風絵-胡蝶-
(個人蔵、江戸初期)

下:「龍頭鷁首を、唐のよそひに、ことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池のなかにさし出でたれば、まことの見知らぬ国に来たらむここちして」―『源氏物語』「胡蝶」巻より

源氏物語小屏風絵‐胡蝶‐
部会報告
平成21年10月21日 第九回 水曜部会

【報告】
今回は秋学期が始まって2回目の研究会となりました。発表者は古田1名、参加者は先生がたを含めて10名でした。担当箇所はテキストP.20~P21の「野分の夕べ、靫負の命婦の弔問」の続きの場面です。

私の発表は本研究会では6月17日に次いで2回目となります。調べていて感じるのは、宇治十帖(『源氏物語』の最終盤)の最初の巻である、橋姫巻との表現の類型性です。今回の発表では、「いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともにはぐくまぬおぼつかなさを」のくだりは「いはけなき人々をも、一人はぐくみ立てむほど、限りある身にて」という橋姫巻の記述と似ています。

こうした他の場面との表現の重なりは、丁寧に調べていくと面白いと思います。なぜなら、桐壺巻の語句の解釈に橋姫巻の展開をヒントとして用いることもできると考えられるからです。もちろん厳密には橋姫巻が桐壺巻を受けて書かれているのでしょうから、扱いには慎重な姿勢が必要となりますが。

今回の場合、「もろともに」育てられないという嘆きの、「もろとも」が誰と誰なのか、注釈書によって説がわかれていました。橋姫巻では「一人はぐくみ立てむほど」というときに問題になるのは北の方(妻)の不在です。桐壺巻でも、「もろとも」とは妻と夫が共に育てられないことを嘆いていると考えた方が、自然と考えることもできると感じました。

また、「昔のかたみ」という箇所も解釈の分かれている箇所でした。私は「桐壺帝」自身と考えたのですが、河地先生の「夫が自分のことを形見というだろうか」というご指摘には、どの注釈書の説明よりも目から鱗が落ちる思いでした。もう少し類例を調べてみないと確かなことはいえないので、今後の課題としたいと思いますが、大変勉強になりました。

次回は今回の続きで、P22の帝の和歌(贈歌)の箇所から始まります。

大学院博士後期3年 古田正幸

 


※資料(アクセスキーを入力してください)
  桐壺巻「野分の夕べ、靫負の命婦の弔問」P20~P21